Friday No.26(28)  変換することは誰にでもできると。

 「金髪にしたい」とぼくは常日頃から思っている。この願望は高校生くらいからずっと思い続けている。長年の片想いなのである。

 なんでそう思い始めたのか?きっかけはなんだったのか?はもう全く覚えていない。まぁかっこいいし、金髪のヒトはなんだか自由な感じがするからだと思う(所ジョージさん、ビートたけしさん、松本人志さん、カズレーザーさんetc...芸人ばっかりだ笑)。
 そもそも金髪どころか髪を染めたことすらない。高校は校則で染髪は禁止だった。高校卒業して大学生になってから染めればいいのに染めていない(茶髪にするのはダサい大学生のやることだと思っていたから。笑)。 

 金髪になれないのは「髪が痛む・ハゲる」その原因になるのが怖い、と言うのが一番の理由である。 金髪にするには2回以上ブリーチをしなければならなので、それはもちろん痛むのである。金髪ブリーチ経験者に話を聞いたところブリーチの最中は頭が溶けるかと思った」と言っていた。肌が弱いぼくには恐怖の拷問でしかない。そしてその後ドライヤーをするたびに髪が切れる。とのこと。それは恐ろしくて金髪に踏み込めない。金髪きっかけでハゲ始めたら一巻の終わりです。

 あとは金額面だ。2〜3万円はするらしいし、その後のメンテナンス・黒髪に戻すのにもお金がかかる。そんなに髪にお金をかけられないと言うのが正直なところである。 

 身体系の願望は誰しもあるのではないだろうか?例えば 「タトゥーを入れたい」「目を二重に整形したい」「歯の矯正をしたい」。 ぼくは基本的には「なんでもやってみるべきだ」「体験したことこそリアルだ」「失敗したってどうってことない」と云う比較的実践型の人間であるが『身体系の願望』となると、こればっかりは失敗のリスクを充分に考えたいのだ。  

 だから、ぼくは思うんです。現実には実現不可能なことは確かに存在していると(金髪にすることが本当に実現不可能なことは微妙ですが、ぼくにとっては限りなく実現不可能なことです)。だったら、少しでもやりたいと思ったことは、その大して重くない腰をよいしょっと持ち上げて実行するべきである。リスクがないことはドンドンやってまえばいいだ。「面白そう」と思ったことは自分でやってみて「面白い!(場合によっては「面白くなかった。つまらなかった」となるかもしれないけど)」。「楽しそう」は「楽しい!(「楽しくなかった。退屈だった」)」。に変換することは誰にでもできると。 

 そう云うのを全部やった上でまだ物足りなければリスクがあることをドカンとやればいいんじゃないかしらん?


『今日』にトマッテくださり、ありがとうございます。
またね。天貫 勇 Friday No.26(28) 
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